「恵比寿稽古会」小冊子「松聲『風伝』」より


(以下の文章は、武術稽古研究会・松聲館の甲野善紀先生の技法を中心に稽古・研究している「恵比寿稽古会」の小冊子「松聲『風伝』」に掲載したものを、稽古会以外の人が読みやすいように一部加筆・変更したものです。内容は中島個人の意見であり、松聲館の公式見解ではありません。)

◎二直線歩行と中心軸の役割(2003年5月9日)

★中島章夫

 少し前に中国武術の八卦掌の講習会に参加しました。ご存知の方も多いでしょうが、八卦掌には円周上を歩きながら行う「走圏」という稽古があります。その歩法の立ち方の基本は「足幅ふたつ分開いて立つ」ということです。これは腰幅に開いて立つのと大体同じでしょうか。そして歩くときもこの幅を保ちます。
 これは一本橋を渡るときのような足運びをしてはいけないということです。二本の線路に沿って歩くのです。こういう歩法について普段考えない人は、歩く度に体が左右に振れてしまうと思うかもしれません。
 「井桁術理」(注)発見以前は松聲館でも一直線上を踏む歩法を行っていたのですが、井桁以降は肩幅の二直線上を踏むようになっていきまいした。そのため八卦掌の歩法はわたしには比較的なじみのあるものでした。考えてみると一直線上を踏む歩法をする武術・武道の方が少ないかもしれません。

●二軸

 「松聲『風伝』」でも何度か話題にした「常歩(なみあし)」グループのひとりに小山田良治氏がいます。その「二直線走歩行」の考え方を抜粋して紹介します。

(前略)体幹をほとんどねじらない走法が「二直線走歩行」です。両足の立ち幅を骨盤幅に保ったまま両足が2直線の上をそれぞれ通過する走歩行です。(中略)「一直線走歩行」はストライドは伸びますが(中略)エネルギーロスも多いと思われます。一方、「二直線走歩行」はねじることによるロスも少ないと思われ、さらに足の前方への切り返しがスムーズになるのです。「二直線走歩行」は脚のターンオーバーを容易にするといえます。

(「常歩事始め」http://www.namiashi.com/hihoukan/kotohajime.htm 2003年4月現在)

 ちなみにここで言われている「ターンオーバー」とは、走法での足の運びのことで、同じく引用すると「自転車のチェーンのようなひしゃげた形」に足を動かすことです。これまでの日本での単距離走の常識は「しっかり地面を後ろへ蹴る」「ももを高く上げる」「腕を大きく前後に振る」ことで、足が円形に近い形で運ばれます。
 「このような走り方では、意識するしないに関わらず身体の中心に軸があります。(中略)その軸を中心に左右の足と腕を互いに反対方向にねじりながら走るわけです。体幹の部分でいえば腰と肩を反対方向にねじっていることになります。この走り方をしますと、腰の動きによって足が体の内側へ振り出されますので、両足は直線に近いラインを踏んで進むことになります。」(「常歩事始め」)。
 「常歩」グループはこれを「一直線走歩行」と呼び、「とてもエネルギーロスのある走法」であると言っています。これは体幹部をねじるために生じるものです。
 「二直線走歩行」は「両足の立ち幅を骨盤幅に保ったまま両足が2直線の上をそれぞれ通過する走歩行」で体幹をほとんどねじらないといいます。この2直線を可能とするのは骨盤、肩甲骨を通る左右の軸の形成で、「ねじることなく上体の四角形をほぼ保つ合理的な身体操作の原理」を「二軸理論」(常歩理論)と彼らは命名しました。
 この「二軸」は、わたしが同側の足裏と肩を結ぶ左右の“肩足軸(けんそくじく)”と言っているものと基本的には同じだと考えています。「二軸」は「骨盤や肩甲骨の動きによって形成される左右軸」です。“肩足軸”の方はもっと単純に「肩幅に足を開いてまっすぐ立ったときの足裏と肩とを貫く左右軸」です。同じだと言うと「常歩」グループから違うと言われるかもしれませんが、ここでは同じということにしておきます。
 また中心軸といい、肩足軸、あるいは二軸といっても、実体があるわけではありません。「常歩」グループは「軸感覚」と言っていますが、まさしく感覚的なものです。これらの感覚はよくしなる柔体としての身体をそれぞれの競技種目にとって効率的な姿勢を保つための「規矩(のり)」(基準)として機能します。

●中心軸はいらない?

 インターネット上の「二軸理論」あるいは「ナンバ歩き」の議論を覗くと、「左右に重心が振れる事は前進運動にとっては不利ではないか?」というような意見をみることがあります。「二軸」で歩いたり走ったりするということは左右の足が腰幅に開かれたまま移動するということです。普通に考えると一歩毎に着地足側に重心を移すと考えても当然かもしれません。先の疑問を呈する人たちのイメージは、左右二軸での走歩行を体を左右に振りながら(メトロノームのように)歩いたり、走ったりするということでしょう。そうなれば確かに大きなロスです。一直線上に足を踏み出して移動したほうが重心は安定し、エネルギーの無駄にもならないような気がして当然です。
 しかし、はじめにこうした意見を読んだときは大変意外に感じました。わたしは重心を左右に移しながら歩いているとは感じないからです。それはどうしてかというと、まっすぐ移動するように稽古をしたからです。つまり、二軸歩行で重心を中心に置いたまま移動することは練習すれば難しくないことです。これは伝統空手の人たちが中段突きをしながらの移動稽古をしてもフラフラしないことを考えればわかるでしょう。左右に振れてしまうと考える人たちは練習していないだけです。
 
 もっとも伝統空手や古武道、まあ新しいものでもいいのですが、体幹部をねじらない武術・武道の多くは、とくに二軸、肩足軸に類するものを意識しないのではないかと思います。
 ではなにを意識するか。いわずと知れた「中心軸」です。言い方は中心線とか正中線とかいろいろでしょうが、頭頂部(百会)から両脚の付けね中央(会陰)あたりを貫く線です。
 ここで先の引用を思い出してください。「常歩」グループは中心軸感覚ではだめだということで「二軸」を提唱したわけです。これは二軸感覚を抜きにした一軸ではだめだといっているのだと思います。
 では武術・武道(の一部)では、ことさら二軸・肩足軸の類をいわなくても大丈夫なのでしょうか。それはもともと型に二軸の要素が取り込まれているからだと考えます。そこで中心軸をブラさないように稽古をするだけで、二軸もしっかりしてくるのでしょう。

 「常歩」グループが二軸の手本とするカール・ルイスやモーリス・グリーンの場合も「二軸」を意識してはいないのではないかと思います。ただ彼らの練習したフォームにその要素がしっかりと入っていたということでしょう。「常歩」グループは、そのフォームに「二軸」を発見したというわけです。だから「中心軸」がだめなのではなく、体幹部をねじらないように規制する二軸感覚抜きの中心軸主導の動きがだめだということでしょう。
 さて話をもどして、中心軸をブラさないようにすると、肩足軸で歩いても重心を左右に移す「重心のお手玉」をしないですみます。実際にはまったく重心を揺らさないということはないですから、中心軸がブレないように重心の移動をコントロールして移動する、ということでしょうか。
 やはり重心の移動があるではないか、と言われそうですが、一直線走歩行での根本問題は体幹部をねじるということに伴うエネルギーロスですから、それに比べたら中心軸をブラさないための微調整などロスとはいえません。かえってそのことによって、重心が大きく左右に振れることを防ぎ、体幹部をねじらないですむわけですから、差し引き大きな省エネ効果があるといえます。

●一軸走歩行

 「常歩」グループが否定したのは「一軸走歩行」であって「一軸」、つまり中心軸感覚そのものではないと、わたしは解釈しているわけですが、これについてもう少し考えてみます。
 「常歩」グループが否定したのは、動作の基準を中心軸に置くことでした。中心軸を基準にすると骨盤がまわって片側が前に、逆側が後方になります。このまま上体も同方向に回転して顔まで回ってしまうので、腰を支点に逆方向にねじり腰の回転を中和しようとします。
 もし上体が胴体と顔だけだと肩が骨盤と逆方向に回転することになりますが、そうすると胸もひねってしまう。胸をひねるということは肩をひねるということです。どうも人は原則として顔は正面を向いていたいらしいので、首で調節することになります。
 しかし首をひねって調節するのはたいへん具合の悪いものです。なぜなら首の筋肉は腰ほど強くないからです。そこで腕を腰と逆方向に振ることで、回転力を吸収し肩があまり振れないようにして首も顔も正面に向いていられるようにするわけです。
 このように中心軸を動きの中心に置くと、腰の左右ひねりが繰り返され、そのひねりを中和するために腕の前後振りが繰り返されることになります。これにどれぐらいのエネルギーが消費されるのかわかりませんが、カロリー消費を目的としたウオーキングのフォームが手足を大きく振り出すことをみると、体幹部をひねって動くことは消費的動作であることは間違いないでしょう。ひねりをなくしてそれを、走るとかを含めた仕事に使えたら有利ではないかと単純に考えられます。

 そこで動きの中心を、中心軸から二軸に移すと腰のひねりは規制されます。腰のひねりが規制されるばかりでなく、足の使い方にも影響してきます。足裏で地面を後ろに蹴って、体を押し出そうとすると、とたんに二軸は崩れてしまいます。これは蹴ったのと同側の腕が前に振り出されてしまうことから理解できます。
 以前、腕の力をすっかり抜いて肩からぶらさげた状態にして、どういう状態のときに腕が振れ始めるか試したことがあります。足を大きく踏み出してみたり、一歩毎にわざと腰をひねってみたり、いろいろやってみました。すると足裏で地面を後方に押しやって体を前に運ぼうとするときが一番敏感に腕が振れ始めることがわかりました。「床を蹴る」という動作もこれに含まれます。蹴ると言った場合は、カカトが上がり指の付け根で床を後方に押しやるわけです。だから足裏全部が床についていても、床を後方に押しやれば蹴っているのとかわりありません。

●蹴り足を検証する稽古

 床を押すことと腕の振りの関連を知るための稽古を紹介します。
〈準備〉

1. 足を腰幅に開いてまっすぐ立つ。
2. 両腕を手のひらを下にして前方に水平に伸ばす。
3. 肩の力を抜いて両腕をストンと落とす。
 このときから腕は肩からぶら下がった鎖のようにする。

〈その場踏み足〉
4. 足を床から5〜10cmほど上げてその場足踏みする。
 腕は床を踏む力を受けて揺れるが、前後には振れないことを確認する。
 ちなみにこのとき床を踏んだときの反作用を同側の肩で感じるようにすると肩足軸の感覚がわかるだろう。

〈踏み足歩行〉
5. 次に歩幅を上げた足のカカトが、接地している足の長さか、指の付け根あたりにくるぐらいの位置に下ろす(つまり歩幅を狭くする)。
6. 足を下ろすと同時に床を踏むようにして強く接地。それまで接地していた足をパッと上げる。
7. 上げた足を前に運び、5と6の動作を行い、これを繰り返して進む。
 このとき腕がゆらゆら揺れるが、前後に振れないことを確認する。

〈蹴り足歩行〉
8. 次に同じように歩を進めるが、足を上げたら接地している足裏で床を後ろにグウッと押すようにして上体を前に進めて歩く。
9. 二、三歩進むと腕が前後に振れ始める。
 さらに進むと足と逆側の腕が揃ってくる。つまり足と腕の逆振りとなる。

 この稽古では手足逆振りになっても、歩幅が狭いので手を大きく振ることはないでしょう。ここで注目すべきは逆側の手足の同調ですから振れ幅は関係ありません。また肩足軸の感覚の育成度によってはピンとこない人もいると思います。技そのものではなく、補助的な稽古といえども稽古は必要だということです。
 また肩足軸の自覚はなくても、まわらない・うねらない体捌がある程度身に付いている人は、床を後ろに押しても、カカトを上げても手足の逆振りにならないかもしれません。ある程度動きが身に付いてしまうと、わざと一般的な動きをするのが難しくなってしまうようです。だからやさしい稽古方法を考えたとしても、動ける人にとっては簡単に思えても、初めての人には甲野先生の動き同様、難しく感じる可能性もあります。でもしばらく稽古を続けていればやさしいことがわかると思います。

 もうひとつこの稽古での問題点をいいますと、腕の力を抜いてぶらぶらにできない人がいるということです。それが前提なので、まず腕の力を抜く稽古から始めなくてはなりません。そういう人は次のような方法はどうでしょうか。
 腕を体側にくっつけて固定します。コンビニのビニール袋に缶のドリンクほどの重さのものを一つ入れ、持ち手を親指と人差し指で摘まんで下げます。あとは先程の稽古素材のように歩きます。ぶら下げた袋が腕の代わりに揺れてくれます。この場合は腕を体に付けて、単独には動かさないということが大事です。
 あと、同じ稽古を中心軸を意識して、足幅を狭く平均台を歩くつもり(つまり一直線歩行)でやってみるのもおもしろいかもしれません。

 このように床を蹴る、後方に押しやるということは二軸を立てているつもりでいても、それを崩すことになります。
 なぜ腕が振れることを嫌うのかというと、腕が歩きや走りで生まれたねじれを吸収するために使われてしまうからです。なにも手に持たないときはそれでもいいでしょうが、手に歩きや走り以外の役割をさせなくてはならない場合、大変不都合です。手が道具などで塞がれたら肩がその代理をするようになります。もし剣などのように移動しながらその道具を使わなくてはならない場合、肩が揺れてはとても正確な操作は望めません。同様の例としては、天秤棒を担いで歩くときや、篭を担いで歩くことが考えられます。
 道具を使わない、ただ歩く、走るといった場合も、腕や肩が体幹部のねじれを吸収するためでなく、歩くことそのもの、走ることそのもののために働けた方がいいに決まっています。腕がどのような動き、働きをすれば良いのかはわたしにはわかりませんが。

●中心軸の役割

 ここで話を本題に戻しますが、二軸を成立させるために床を蹴らないということは、接地した足で床を後方に押しやらないということです。ということは接地足は体を支える働きに専念するのです。
 では上体はどのように前進するのか。接地足を支えに倒れることでその力を得ます。逆にいうと蹴り足は支えと前進の両方の役割を負っています。力強く上体を押し出そうとすればするほど、接地足に体重を乗せますから、一歩毎に「重心のお手玉」をすることになってしまいます。
 踏み足では倒れることで重心は常に前方に投げ出されています。接地足は体が倒れないための支えとして前へ前へと出していけばいいだけですから、力強く踏む必要はありません。重心は二軸の延長線上に投げ出すのではなく、中心軸上にまっすぐ移動していきます。そのため二軸批判者が心配するような重心の左右移動によるロスはないということです。

 ここで明らかなように、中心軸は歩きや走りを支える軸ではなく、移動による身体のブレをコントロールする規矩として働きます。二軸・肩足軸は体幹部がねじれないように体を支える規矩としての役目をしているということです。同時に二軸の身体的な末端である足裏も「支える」という働きに専念することになります。

●「振り子」と「コイルのバネ」

 二軸への批判のおかげで、「床を蹴らない」ということの重要性があらためて確認できました。「常歩・二軸」と「ナンバ・肩足軸」、ことばの違いはあっても床、地面を後方に押しやるということの克服なしには成立しないでしょう。これは、あまりにも一般的動作からかけ離れた身体操法といえます。実際の動きに接することなく、文字や写真からだけではなかなか会得が難しいといえます。
 また、現実には床をまったく蹴らない、後方に押しやらないというのは至難の業です。足裏の感覚を育てることが稽古での課題のひとつになることを心得ておく必要があります。さらに、蹴り足から踏み足に変えたとしても、腕が完全に自由になるわけではありません。蹴り足のときの前後に振れる「振り子」から、上下の振動を吸収する「コイルバネ」の働きに変わるのです。これは肩甲骨を含めた腕が担当することになります。上に挙げた稽古素材で踏み足で腕が振れるのはそのためです。しかも「振り子」がもっぱら腕がその役目を負うのに比べて、「コイルバネ」は腕だけでなく、足も胴体もその働きをしています。体を柔らかく使えば、着地の瞬間から脚が上下動の吸収し、残りを胴体の大きなコイルバネが引き受けます。柔らかく使えば肩甲骨も振動を吸収します。ですから「振り子」では先端の腕先がもっとも大きく振れますが、「コイルバネ」では先端の指先の振動がもっとも小さくなります。
 そのために、手で何かを扱いつつ移動するのにナンバ的動作、ニ軸動作は大変有利になります。刀を構えながら、提灯をかざしながら、天秤棒を担いながら、ボールをドリブルしながらなどなど。

 逆に、地面からの反作用を有効に仕事に使いたいときは、体のアソビを取って腕の先端まで効率よく力を伝えるようにします。このアソビの取り方に技法上の様々な工夫があります。こう考えると、強く床を踏むことで突きの威力が増すことがあるのが、なぜだかわかる気がします。逆にアソビの取り方、身体の締め方というのでしょうか、それが不完全だといくら大きな音を立てて床を踏んでも、たいして意味がないということになります。
 武術・武道に限らず、瞬間的にアソビを取ることは非常に重要なことです。卓球、テニス、野球、ゴルフなどのボールとラケット、バット等のボールとのインパクトの瞬間、バレーボールのアタックの瞬間、またジャンプの瞬間。これらにアソビを取って、地面からの力を通す経路を作り出せると、その威力も変わってくるのではないでしょうか。
 実はわたしはニ軸をこの経路のもっとも基本的なものと捉えたらどうかと考えはじめています。このアソビを取る「締め」と振動を吸収する「緩み」とを、どう使い分けるかが重要で、ニ軸も「軸を通す」「軸をはずす」「軸を緩める」などの「軸の用法」も視野に入れて体を動かしてみると、新たな発見もあると思います。
 以上

(注)「井桁術理」:1992年に甲野善紀が発表した、体幹部をねじらずに使う身体操法の原理。